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齋藤 利近 さん
福岡で育ち大学卒業後に小学校教諭の免許状を取得。昭和59年より福岡市の教員として働き始める。平成26年福岡市立姪北小学校で校長に就任。平成29年には福岡市立周船寺小学校に転任し現在も校長として勤務。
膝の手術で経験した入院生活には、
学びのよろこびがあった
教員として、アスリートとして
駆け抜けた日々
「子どもたちと一緒に過ごせる楽しそうな仕事だなと思ったのが教員になるきっかけでした」と温かい声で語るのは周船寺小学校の校長先生、齋藤利近さん。大学では、勉学に励みフェンシングのクラブ活動に熱中する充実した学生生活を送り、卒業後に小学校教諭の免許状を取得した。
小学校の先生は誰もが知る通り大変な仕事だ。全教科を教えなければならないのはもちろん、テストの作成や採点、授業の事前準備など授業外の業務も多い。加えて年中行事も多く保護者との対応も大切な仕事である。
齋藤さんも福岡市内の小学校をいくつか転任し、教員として忙しい日々を送っていた。そのなかでフェンシングは趣味として続け、試合にも出場していた。30代半ばでフェンシングは引退したが、町内のソフトボールチームに入り休日には1時間ほどジョキングをしていた。教員は体力勝負の仕事だが、スポーツが好きな齋藤さんは体づくりも苦にすることなくむしろ楽しんでいた。
54歳の時、福岡市立姪北小学校で校長に就任する。この頃から膝に異変を感じるようになった。「いつものようにジョギングした後、右膝が痛かったんです。長く歩いた後も右膝が痛む。それでもその時はしばらくすると痛みが治まっていました」
しかし、その後痛みが続くようになり、病院に行き膝にヒアルロン酸注射を打つ治療を続けたが3か月ほど通院してもなかなか痛みは治まらない。そのうち学校の階段の上り下りも苦になりはじめた。右足を一歩踏み出すたびに膝に痛みが生じる。「膝が鳴るんですよ。ポキッという音が
するんです」齋藤さんは病院を近くの整形外科に変えた。そこで紹介されたのが福岡リハビリテーション病院(以下福リハ)だった。
高位脛骨骨切り術の説明を聞いて、これならいけると
齋藤さんの右膝の痛みは、太ももの骨の疲労骨折と変形性膝関節症が原因であることがわかった。疲労骨折はケガや事故による骨折とはちがい、同じ動作を繰り返し行うなど小さな力によって骨にひびが入り骨折にいたるもので、スポーツ選手にもよく見られる。変形性膝関節症は、脚のかたちや歩き方、体重、加齢などさまざまな原因で少しずつ膝が変形し、軟骨がすり減り骨が当たって痛みが生じる病気だ。齋藤さんの場合も原因はひとつではなく、あらゆる条件が重なり骨や膝関節の症状が徐々に悪化したものと考えられる。膝の変形は、年齢とともに進んでいく。
齋藤さんは医師から『高位脛骨骨切り術』の説明を受けた。高位脛骨骨切り術はO脚に変形した膝関節を矯正する手術で自分の関節を残したまま症状を改善することができる。「福リハの藤原先生はパンフレットを見せながらわかりやすく説明してくださったんです。福リハでは高位脛骨骨切り術を年間100症以上手術しているし、術後1か月で退院できると聞いて、これならいける!と思いました」
膝の痛みをこらえて修学旅行へ
手術の決意はしたが、学校長という仕事はなかなか休みがとれない。その間、痛みをやわらげるために福リハでヒアルロン酸注射を膝に打ち、水を抜き、足底板という靴の中敷きを作ってもらい膝の負担を軽減するなどして対処していた。
ひざの痛みを抱えたまま仕事をするなか、姪北小学校から周船寺小学校へ校長として転任することが決まる。「校長の仕事は最終決断をすることです。そのためには学校の様子を知っておかなければいけません。行事ひとつにしても、それまでやってきたことや保護者の願いなども把握する必要があるのです」こうして赴任後は周船寺小学校での多忙な日々が続き、手術の日取りが決められずにいた。学校行事として10月には自然教室がある。その年は2泊3日海の中道海浜公園で行われた。「自然教室ですから児童と一緒に歩かなければいけないんですが、5年生の歩くはやさについていくのが難しい。夜は膝を冷やしていました」続けて11月には修学旅行があった。「宿泊部屋を3階ではなく2階にしてもらうとか、配慮していただいて」
その後やっと決まった手術日は、福リハを受診してから約1年も後だった。

リハビリも勉強になって楽しかった
こうしてようやく高位脛骨骨切り術の手術を受け入院生活が始まった。
「車椅子も生まれて初めて。とても勉強になりました。小学校では福祉についての学習として、子どもたちが学校で車椅子を使う体験をすることがあります。私も車椅子を使う大変さがわかりました。飲み物を取りに行ったら、あれっ?と。片手で飲み物を持ったら両手で車椅子を漕ぐことができないと気づいたんです。トイレも苦心しましたね」この体験を退院後学校で児童に教えることもあった。「ケガをして学校で車椅子を使う子に、立ち上がる時にはペダルを上げるといいよとか、教えてあげることができました」
リハビリも当然初めての体験だった齋藤さん。そこにも多くの学びがあったと語る。「理学療法士の方がここの筋肉が働いたら体はこう動くとか、骨と筋肉のつながりなどを教えてくれたんです。私もスポーツをしていたから体のことはある程度知っていたんですが、理学療法士の話を聴くとさすがだなと思うことが多くて。体のしくみがわかってからリハビリをすると楽しいんですよ」
また、福リハでは入院患者を対象に教室を開催している。「痛みの話や薬のことなど、毎回ちがうテーマで7~8回教室がありました。保健体育の授業みたいでこれも面白かったですね」と、入院生活を語っているとは思えないほど終始笑みがこぼれる。齋藤さんが教育に情熱を持ち続けていられるのは、ご自身も学ぶことのよろこびを忘れないからかも知れない。
「日誌をつけるように言われていたんですが、これも良かったですね。トイレの回数や睡眠時間、痛みがない日はニコニコマークをつけたり。見ると心身のコンディションが確認できるんです。自分の膝が良くなっているのが記録でわかるんですよ」
骨を切る手術だからと覚悟していた痛みもさほどなく、順調に回復していった。
「理学療法士は皆さん明るくて前向きでいろんなことを教えてくれるし、またリハビリに行きたいなと思うほどです」
歩けることがこんなに良いことなんだと
手術後仕事に戻り、1年半が過ぎた。「膝が痛くない、歩けるということがこんなに良いことなんだと実感しました。手術して良かったです」
手術前はつらかった自然教室や修学旅行も元気盛りの子どもたちと歩けるようになった。膝の病気や手術したことを児童に話したことはないそうだが、もし話す機会があるとしたら何を話しますかとたずねると「そうですね…『病院にはたくさんの人が働いていて、みんなの力で病気の人を助けてくれるとよ』って。『先生も病気と出会って病院の人たち、家族や学校の人が優しく助けてくれてありがたかったよ』と子どもたちに話すかな」と答えてくれた。
齋藤さんはあと1年で定年を迎える。
「最後の1年だからというわけではなく、次の世代を担う若い先生の力を伸ばして引き継ぎしていかなければならないので、校長としてやるべき仕事をかわらずにやるだけです。退職後はまだ具体的なことは決めていませんが仕事となると私には学校での経験しかありません。今まで
の教員生活を活かすことができたら良いですね」
定年イコール引退ではないと、齋藤さんの言葉は力強く響いた。
取材協力

福岡市西区
周船寺1丁目22-39
※掲載の記事は、掲載日時点での情報となります。掲載されている、施設名、お名前、役職等、また、医療情報等は当時の情報となります。
掲載日:2019年08月