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小杉 めぐみさん
4歳のころから日本舞踊を始める。幼稚園で用務員として働きながら、ボランティアでの踊りの披露、月に数回教室を開催している。
「もう1度、踊りたい!」
強い気持ちとともに乗り越えた
半月板損傷の手術とリハビリ
右足に続いて左足も…2度も味わった底知れぬ絶望感
仕事も趣味も全力で取り組む小杉さん。日本舞踊を始めたのはなんと4歳のころ。結婚や出産、育児などで休みながらも、ここ20年ほどは仕事と上手く両立しながら踊りに打ち込んできたんだという。今では施設などで踊りを披露したり、月に数回、日本舞踊の教室を開催したりしている。すべてボランティアで行っている活動だそう。
しかし、その優美でしなやかな身のこなしで舞う小杉さんの姿からは想像できない、壮絶な過去があった。
「以前、事故で右足の半月板を損傷し、手術したことがありました。手術は無事に成功して、歩けるようになったのですが、それから知らず知らずのうちに右足をかばうようにして生活していたせいか、だんだん左足に痛みを感じるようになってきたんです。通院するほどの痛みではなかったため、さほど気にかけていなかったんですが、ある日突然、左足に激痛が走り、立てなくなってしまったんです」。
その時は立つどころか、足を地面に付けることさえもできなかったという。事故をして以来、2度目の絶望感。
「もう自分の足で歩くことはできないかもしれない…ましてや踊ることなんて到底無理だろう」と、感じたんだそう。
「当時、かかりつけだった整形外科で手術を行いました。手術が始まる前に娘が執刀医の先生に『母の足をもう1度踊れるように戻してください!』と、いってくれたそうです。
もしかしたら私以上に娘が心配してくれていたのかもしれません。そのくらい私の足は、使いものにならなくなっていました」。
そして手術は無事成功。しかし、そこは救急病院だったため、長く入院することは難しく、十分なリハビリを受けることができないまま退院するしかなかったんだそう。
「他の病院を紹介されましたが、家と病院の場所が離れていたり、階段が多かったり、希望に沿う病院はなかなか見つかりませんでした」。
そこで候補にあがったのが、以前ボランティアで訪れたことがあったという、福岡リハビリテーション病院(福リハ)だった。
「先生に『福岡リハビリテーション病院に行きたい』と伝えました。しかし先生には『あそこは人気のある病院なので、入るのは正直難しいと思います』とハッキリいわれたんです。それでも諦めきれず『それでも、どうにかお願いします』と頭をさげました。そうしてお願いしてから毎日がドキドキでした。2日、3日…と時間がたち、半分諦めかけていた4日目の夕方、入れることが決まったという連絡をいただきました」。
「必ず歩けるようにしてあげる」
その言葉に支えられたリハビリ生活
心から信頼できるリハビリの先生との出会いが運命を変える
そこから、福リハでの入院生活が始まりました。入院当初は歩くこともできない状態だったことから、未来が見えず不安を抱えていたという。
「本当に、自分の足で歩けるようになるのか不安でした。歩くことも想像できないくらいでしたから、大好きな踊りがもう二度とできないと思い込んで、落ち込んでいました」。
しかしその気持はすぐに払拭される。
「先生が、私の不安な心境を察したのか『必ず自分の足で歩けるようにして帰してあげるからね』といってくれました。半信半疑ではあったのですが、その時の私にとってはとても心強い言葉でした。リハビリの先生を信じてついて行こう、そう決心しました」。
そしてリハビリがスタート。
「固くなった筋肉を、先生が親指を使ってグッとほぐしてくれるんです。もうその瞬間、今まで感じたことのない感覚を覚えました。『今までのリハビリとは何かが違う!』と思いました」。
そうして、先生がグッと親指で押すたびに、体がカーッと熱くなり、血の巡りがよくなるような不思議な感覚になったんだという。
「先生の親指先からも強い意思を感じるようでした。毎回的確な場所をピンポイントに押してくださり、リハビリを重ねるごとによくなっている実感がありました」。
そしてリハビリを開始して3日がたったころ、地面に足をつけることができたんだという。
「本当に感動しました。あの時の感動は今でも忘れられません」。
目にうっすら涙を浮かべながらそう話してくれた。そうして、先生のいうことをしっかりと守り、懸命にリハビリに取り組み続けた。
「甘えを見せれば、やっぱり甘えた分の成果しかでないと思った」と小杉さん。
そうして、2週間たったころ、手すりを持ちながら、両足でしっかりと立てるまでに回復したんだという。
「まさか!という気持ちでした。それから先生の声に合わせて、一歩一歩足を前に踏み出しました。最初は歩く感覚がうまくつかめずこわばっていた足が、3歩4歩と進むにつれて、スッスッとスムーズに足を踏み出すことができました」。
足取り軽やかに
かけだしそうになる衝動をおさえて
それから松葉杖でのリハビリに入った小杉さん。最初は松葉杖を2本、そして1本と減らしていったという。
「松葉杖歩行になったころから、足取りが軽くて松葉杖なしでも歩けるんじゃないかな?と思うほどでした。片松葉杖歩行になってからは、トイレや洗面所に松葉杖を忘れて出て来てしまうことがたびたびあったので、手と松葉杖を包帯でグルグル巻いて固定していました(笑)」。
それからはみるみる回復。ついに階段が上れるまでに。
「最初は、1段ずつ足をそろえて上っていたのが、1段目、2段目と交互に足を出して上れた時は、本当に感動しました。先生がリハビリを始める前に私にいってくれたことが本当に叶う時が来たんだ、と思いました」。
自分の足で踊れる、
その幸せを改めてかみしめる
退院してからは4日で仕事に復帰したという。
「幼稚園の用務員として働いているのですが、園の先生たちもみんな『足はもう大丈夫なの?』と驚いた様子でした。もちろん、生活に支障がないくらいにまで回復していましたが、幼稚園児の背丈に合わせて作られた園内の階段は、1段1段の高さが低く、いいリハビリになりました」という。
それから程なくして行われた幼稚園の忘年会で、小杉さんは踊りを披露することになる。
「足はすでに回復していましたが、手術してから初めての踊りだったので、『本当に痛みなく踊りきれるのだろうか』という不安はありました。
けれど『踊りたい!みんなに踊りを見て喜んでもらいたい!』という気持ちが強く、またこうして誰かの前で踊れることの喜びの方が勝っていました」。そして、足が痛むこともなく最後まで踊りきり、園の先生たちにとても喜んでもらえたのだという。
日本舞踊の教室も再開。
そこには、手術前と同様に、生徒さんと踊りを楽しむ小杉さんの姿があった。
「こうしてまた踊れるようになる日がくるなんて夢のようです。左足に痛みが走ったあの日のことを思い返すと、今の自分の姿はまったく想像もつきませんでしたから。福リハでリハビリを受けられて心からよかったと思います。言葉では伝えきれないほど感謝の気持ちでいっぱいです」という。
この感謝の気持ちをどうにかお返ししたいという小杉さんは、福リハで日本舞踊を披露することを思いついた。
「先生への恩返しはもちろんですが、私自身、入院当初に気持ちがふさぎ込んでしまっていた経験があるので、今リハビリを頑張ってる方たちにも諦めずに頑張れば、ここまで回復することができるんだということを伝えたくて、『福リハでぜひ踊らせてください』とお願いしたんです」。
そして小杉さんはこう話してくれた。
「昔からボランディアで踊りを披露させていただいたり、日本舞踊教室を開いたりすることが好きで続けてきたのですが、その活動の幅をもっと広げていきたいと考えています。私は踊ることしかできないですが、喜んでもらえるのであればどんなことでもやらせていただきたいです」。
小杉さんの踊りは、これからも数多くの人を勇気づけ、励ましていくことでしょう。
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掲載日:2017年02月