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加地 利幸さん
飯倉タクシー株式会社代表取締役理事長。会社の出社時間は7時半だが、朝早くから予約が入っている社員一人ひとりの顔を見て、直接「おはよう」と声をかけたくて、毎朝5時に出社するのが日課。
ユニバーサルデザインのタクシーで
みんなの笑顔や夢を運ぶ。
そんな、幸せな仕事をしています。
UDタクシーって、知っていますか?
「僕の後ろにあるタクシー、大きいでしょう?
ユニバーサルデザインタクシー(以下、UDタクシー)って言うんだけど、小型タクシーと同じ料金なの。大人が4人乗っても、ゴルフセットを立てた状態で4つ入るし便利なんだよ」。
そう教えてくれたのは、福岡と佐賀でタクシー会社を経営する加地さん。
気温が低く、小雨が降る中での撮影にもかかわらず、ピンと伸びた背筋から元気さが伝わってくる。
2年前に肩にケガをし、「今日も午後からリハビリを受ける予定」と言う加地さんは、過去にひざを痛めたときに、福岡リハビリテーション病院で手術を受けたそうで「入院が決まったとき、暇を持て余すだろうと考えていたら意外にも手持ち無沙汰にならなくてね」と、廊下の随所に飾られた絵画を観て回るのが楽しかったとにこにこしながら話す。
「まるで、小さな美術館のようだよね。一番感動したのは、ベルナール・ビュッフェの大きな絵!患者さんたちのために、心の栄養をさりげなく用意してくれるその気遣いがうれしくて、毎日観ても飽きなかった。入院中に出てくる料理も一つひとつに愛情があふれていて、料理をつくってくれる人に何度もありがとうとお礼のラブレターを書いて投書したよ」と目を細めて笑う。
「交通運輸業として、弱者の利便性と
移動手段の確保をする」という揺らぎのない姿勢
人の命を預かる使命感を持って仕事をしたい
「この病院や原院長と接していると、僕が経営する飯倉タクシーと共通するものを感じてね」。
そう話すと、ひと呼吸置いて「人の命に携わる仕事」と静かに言う。
加地さんが父親の経営する加地タクシーに入社したのは、昭和27年のこと。
当時は世の中に車がまだあまり走っていない時代で、今みたいに病気になったら救急車を、人が亡くなったら霊柩車を、など区分けはなく、タクシーは何でも運んでいたという。
「遺体も運んだし、車の中でお産が始まって赤ちゃんが生まれたこともあるし、病院に連れて行く途中の車内で人が亡くなったことも。やくざの親分を乗せて、敵方の親分の家へ行ったこともあるよ」と、びっくりエピソードまでサラッと話してくれた。
輸送を必要とする人のためなら、どんな状態の人でも運ぶ。
筑豊というエネルギーと活気に満ち溢れた場所で育ち、その環境下で社会人としてのスタートを切った加地さんは、乗客の尊い命を預かり、目的地まで安全に送り届ける重責を自身の体験からたくさん学んだ。
「交通運輸業として、弱者の利便性と移動手段の確保をする」という揺らぎのない姿勢は、前述で紹介したUDタクシーの導入にもつながっている。
「そろばん勘定ではなく、自分の誇り。飯倉タクシーがあるから安心して年をとっていけると思ってもらえたら幸せ」と語る加地さんには、今少し残念に思うことがある。
「タクシー=セダンタイプという印象が強すぎて、UDタクシーが走っていてもタクシーだと気づかれなかったり、『あれは介護タクシーだから』と拒否されることもあって…。
UDタクシーなら、車イスの人でも西鉄バスと同じスロープで上がることができるし、同乗者と同じ目線で乗り心地を楽しめる。車イスは身体の一部なんだから、荷物を扱うように積むことが忍びないんです」。
30年前、車イス障がい者の全国組織にタクシー事業者の中で唯一参加し、障がいを持つ人たちの話に耳を傾け、社員とともにサービスを磨き続けてきた。
「UDタクシーに関しては経営のやりくりが大変だけど、橋本駅循環ミニバス(5〜6ページで紹介)ができたとき、同じ交通運輸業として自分たちがやってきたことは間違いなかったと確信しました」。
取材協力
☎092-872-3131
早良区東入部2-15-1
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掲載日:2016年01月