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深堀 則子さん
高校を卒業後美容の仕事を志し、以来47年間この道一筋。自身の美容院を経営して35年、地域の人に愛されている。趣味のフラダンスも15年以上続け、現在地元フラダンスグループのリーダーを務める。
働きたい、踊り続けたい
夢と目標があるから、
手術とリハビリを乗り越えられた
突然膝の痛みに襲われ、
もう少し働きたいと、手術を決意
住宅街にある水色の屋根の美容室。扉を開くと、店主の深堀さんが温かい笑顔で迎えてくれた。35年前にこの場所に店を開いて以来、地域の人々に愛され続けている。「お客さまは常連さんが多いですね。10年、20年以上も通ってくださる方もいます」というように、この日も40年来深堀さんに髪をまかせているという女性がカットに訪れていた。ベテランとなった今もなお、腕を磨く努力を怠ることなく、勉強会やヘアショーに積極的に出かけて学び続けている。
このような働きぶりを伺うと、とても長い間膝の痛みに苦しんでいたとは思えない。「もう10年以上前になるでしょうか。突然膝が痛くなったんです。歩くのも立つのもつらかった。特に台所で立ち仕事をしている時や買い物に行く時。足をひきずっていました」膝の痛みに耐えかねて、訪れたのが福岡リハビリテーション病院(以下福リハ)だった。医師から診断された病名は、変形性膝関節症。年齢とともに軟骨部分がすり減って膝が変形し、痛みを伴う病気である。通院して膝にヒアルロン酸注射を打ちリハビリをする日々が続いた。
このような保存療法を5年間行ったが、膝の変形は徐々に進行。医師に高位脛骨骨切り術をすすめられる。この手術はO脚に変形した膝を矯正するもので、多くの高齢者が手術を受けることで生活を取り戻している。
「手術は怖くて嫌でした。でも、他の病院に行ってもやっぱり同じ手術をすすめられるんです」その後、インターネットや本誌ろこもなどで高位脛骨骨切り術を調べると、自分の関節を残したまま症状を改善できる手術だということがわかる。「痛みを改善してもう少し仕事を続けたい」と決意し、評判の良い整形外科を周囲に聞くなどの情報も集めた。「やっぱり手術もリハビリも信頼できる福リハさんがいいと思いました」
こうして手術を1月に決め、お客さんには年賀状で店をしばらく休むことを伝えたが、深堀さんには手術前にやりたい仕事があった。あるお嬢さんの成人式の着付けと髪のセットである。「その子のお母さんの成人式も私が着付けをしたんです。その時の着物を次は娘さんが着ると聞いて、親子二代の成人式をどうしても手伝いたかった」このため、入院前ギリギリまで仕事をして手術は成人式の翌日に行われた。
仲間とフラダンスを踊るために、
頑張ることができたリハビリ生活
大好きなフラダンスをリハビリに取り入れてくれた先生
「3月には成人式をしたお嬢さんや孫の卒業式があるから、その頃には元気に仕事できますよねって先生にお願いしました」
変形性膝関節症の場合、手術と同等にリハビリが重要だと言われている。入院前から情報を収集していた深堀さんもリハビリの大切さを熟知していた。手術後すぐにはじまったリハビリにも「はじめは痛かった。ひぃーって悲鳴をあげたこともありました。でも、とにかく頑張ろうと思ったんです」と、意欲的に取り組んだ。深堀さんのリハビリの原動力となったものは、美容師の仕事復帰ともうひとつ、大好きなフラダンスを踊りたいという情熱だった。「インストラクターの免許も取ったんですけど、膝の調子が悪くて講師はできませんでした。でも、友達みんなと踊るのが楽しいんですよ」と、フラダンスのこととなると弁に熱がこもる。手術前の膝が痛くてたまらない頃でも、仕事とフラダンスを踊る時だけはその辛さを不思議と忘れることができた。退院後も中島さんは毎日福岡リハビリテーション病院のリハビリプールに通った。
「足をひきずってステージに立つからお客さんはあの人本当に踊れるのって驚かれるんですけど、曲が始まると私が踊りだすからまたびっくりされちゃうんです」それほどまでのフラダンスへの思いは、入院中も周囲の人を動かす。「リハビリの先生がほら深堀さん、〝ヘラ〟をしてみてって言うんです。ヘラというのはフラダンスのステップなんですけど、先生は私が好きなのを知ってインターネットで調べて、リハビリに取り入れてくれたんですよ」励みになったのはリハビリの先生の熱意だけではない。持ち前の明るさで同室の人とすぐに仲良くなり友達も増えて気持ちを分かち合った。そして、福リハ院内で定期的に開かれる健康教室も後押しをしたという。一人じゃないから大丈夫と微笑む中島さんの笑顔は、辛い経験を克服した、強くてたくましいものだった。
「健康教室でリハビリは目標を持つことが大切だと言われました。車椅子に乗っていれば痛くはないんですが、松葉杖で歩けるようになったら二度と使わないと決めました。そして次は片手だけの松葉杖で歩きたい、痛くても元には戻らない、前に進むことだけを考えていました」
こうして努力の結果順調に回復し、医師の許可を得て一泊だけ帰宅した日のこと。美容室に電話がかかってきた。「帰ってきたの?お願いだから髪切ってくれない?と常連のお客さんから言われて、病院に戻るまでのわずかな時間に仕事をしました」自分を待ちわびる人がいることは深堀さんにとって大きな力になったに違いない。それから間もなく退院した。
「退院後はすぐにフラダンス教室に行きました。まだ踊れませんでしたけど、見学だけでも行きたかったんです」そして、仕事にも復帰。願った通りに、卒業式にはお客さんやお孫さんの羽織袴の着付けをして髪を結い、華やかに送り出した。
できるなら、80歳になっても踊り続けたい
「はーい!みなさん並んでー」深堀さんの元気な声が響くと、ウクレレの音色が聴こえてきた。ここは福岡市西区にある玄洋公民館の2階。深堀さんが膝の手術を決意しリハビリに励んだもうひとつの理由であるフラダンスの教室をたずねた。
この公民館、窓の外には一面の海が広がる絶好のロケーションだ。受講者数は現在14名、平均年齢は74歳だが、80歳を超えたメンバーも元気に博多どんたくなど地域のお祭りやイベントのステージで踊りを披露している。深堀さんはこのサークルのリーダーをつとめ、講師からも頼りにされる存在だ。
「入院中、リハビリの先生が花火大会のステージでは踊れるようになれますよって言ってくれたんです」と満面の笑顔。数カ月前には車椅子だったことなど嘘のように、夏のステージに向けて練習に取り組んでいる。「家族みんなでハワイに行きました。不安はあったけどダイヤモンドヘッドにも登ってみました。頂上まで行けた時、すごく嬉しかったです。こんなにも歩けるようになるなんて、当時は思ってもいませんでした」。
フラダンスは、しなやかな動きだからこそ難しく奥が深い。背筋を伸ばして足を踏みしめ、向きを変え、手を波打たせる。「詩の意味を考えながら踊っています」と深堀さんが語るように、表現するために手先まで神経を集中して踊り続ける。動きの早い振り付けもあるが、汗をかき息も上
がっているのに休憩しようとはしない。
それどころか深堀さんはリーダーとして率先して動いている。衣裳や振り付けについてイキイキと話し合う姿はみな少女のようだ。
「こうやってまた友達と踊られるのが嬉しくて仕方がない。フラダンスは人生の楽しみです」と目を輝かせる深堀さん。50歳を過ぎて取った車の免許で友達を教室へと送迎し、ステージに立つ前には仲間たちの髪を一人ひとりセットする。美容の仕事がそうであるように、深堀さんはまわりの人を喜ばせることが大好きなのだ。
取材の最後に、これからのことを伺った。「フラダンスは70歳、80歳を超えても踊り続けたい。そして、美容師としては孫が成人式を迎えるまでは頑張ろうと思います」その力強い言葉に、いくつになっても夢や目標を持つことの大切さを教わった。
取材協力
フラダンス教室
第1・2・3 週 金曜日開催
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掲載日:2018年09月