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中島 光江さん
足趣味でもある旅行関連の会社に努めながらも、小さい頃からのガールスカウトの経験を活かし、今はボーイスカウトの指導員もこなす。
また家族でバンド活動も。
臼蓋(きゅうがい)形成不全という難解な症状と
戦い乗り越えた、前向きな気持ち。
「活動的な日々を取り戻せて嬉しい」
痛みも辛さもスタッフに支えられ乗り越えられた
「カブ隊集合~」と元気な声が響いている。
ボーイスカウトで指導者をしている中島さんだ。
でも2年前にはここまで復活できるとは思えなかったという。
バリバリと仕事をこなし、楽しみながら子育てし、長年続けているボーイスカウトに趣味の旅行やバンド活動と、とてもアクティブな中島さんに異変が起こったのは一昨年の年末。
趣味である旅行を楽しんでいる最中に足が痛くて動けなくなったのだそう。
家に帰っても階段が登れないほどの痛みに苦しんだ。
すぐに病院で診察を受けると「臼蓋形成不全」と診断された。
臼蓋形成不全とは、股関節の大腿骨を支える臼蓋(きゅうがい)の形状が不完全で大腿骨へのかぶりが浅く、股関節痛が次第に強まり歩行困難に至るというもの。
できるだけ早く手術をしようということになったが、福岡大学病院はいっぱいだったため、連携のある福岡リハビリテーション病院に担当の先生が出向き、手術することとなった。
骨盤の臼蓋のまわりをドーム状に切り、切った骨を回転させて固定し、骨頭を覆うようにする、寛骨臼回転骨り術という手術が3月に行なわれ無事終了。
そこから長期の入院とリハビリの日々が始まった。
「手術をしないと人工関節になるかもしれないと言われたほど悪くなっていました。
なので長くなることを覚悟して仕事を辞めて手術に挑みました。
覚悟はしていたとはいえ、格闘の毎日でしたね…」と中島さんは振り返る。
術後1週間は寝たきりで、1500ccも出血したために貧血になってしまった。
ご飯を食べて貧血改善するのも意外と大変で、痛みもあり、涙することも多かったが、福岡リハビリテーション病院の先生が毎日様子を見に来てくれたり、看護師さん達の励ましに勇気づけられ、頑張ろう!と何度も奮起したのだそう。
またちょうど手術の頃は体重が増加していた時期だそうで、それも股関節や腰に負担をかけていた原因のひとつだったとか。
なので負担を減らすために、入院中は体重管理も同時に行われた。
元来、中島さんはポジティブで頑張り屋さん。
前向きに努力し続け、寝たきりから車椅子、松葉杖と徐々に回復していった。
「歩けた時はとても、とても嬉しくて涙が出ました。81日間も入院していましたが、福岡リハビリテーション病院は、理学療法士さんや看護師さんの連携がすごくてケアが行き届いていると感じました。
入院が長くて辛い時、看護師さんが来てくれて話を聞いてくれたりもしました。
手術は最強チームでしていただいたので、絶対良くなる!後は私が頑張るだけだ!!と何度も考えました。体だけでなく、心の回復も支えていただいたと思っています。
先生、理学療法士さん、看護師さんと皆さんにとても良くしていただいて、福岡リハビリテーション病院で良かったと思っています」。
辛く大変な経験を乗り越えたとは思えないほど、明るく屈託のない笑顔で、中島さんは応えてくれた。
素直に受け入れる心があったら
リハビリは絶対うまくいく
理学療法士を中心に連携が取れているので
退院後のリハビリも安心
リハビリに入っても中島さんの苦難は続いた。
すぐに歩く練習ができるわけではなく、2週間毎に10kgずつ片足に体重をかけていくというリハビリから始まったのだそう。
それができないと負担もかかるし歩けないという。
そのリハビリはなかなか進んだ気がしないので、気持ちが落ち込んだりしたことも多々あったとか。でも、15分くらいかけて寝返りしたりとリハビリに励む中島さんをマッサージしてくれたり、声掛けしてくれたりして支えてくれた理学療法士には頭が下がる思いなんだそう。
「最初のうちは足がすごく腫れて動かすのも痛いから、ついイライラして罵声を浴びせたこともありました。そんな時でも理学療法士さんは優しく、『じゃあ、あれやってみようか』と諦めずに声をかけてくれたりしました。本当に本当にありがたいですね。
感謝しています。
自主練方法も教えてもらって病室でもやったりしていました。
歩けるようになった時の嬉しさは今でも鮮明に覚えています。
しばらくして、リハビリプールに入れるようになると、リハビリが進んだような気がして、気持ちもさらに前向きになりましたね。福岡リハビリテーション病院のスタッフは優秀なので、やること、言ってくれることは間違いないと思います。だからリハビリする側が素直に受け入れる心を持てば、きっと上手くいくと思います。たとえいろんな勉強を独自にやったとしても、リハビリは一人ではできません。目配り、気配りのきいた福岡リハビリテーション病院でリハビリできたことが、辛い疾患を抱えた中でも、一番良かったことでした。
あ、そうそう私の場合、体重が減らないと退院できなかったんです。
それも大変だったんですが、理学療法士さんが『頑張れ○○kg!』と書いてくれていました。
その心遣いも嬉しくて、本当にみんなの気持ちが私の頑張る原動力になったと思います」。
退院後も中島さんは毎日福岡リハビリテーション病院のリハビリプールに通った。
「治るために、できることはなんでもしようと思いました。
毎日通ったので福岡リハビリテーション病院の方達と仲良くなれたのも励みだったと思います。
リハビリの理学療法士さんとプールのスタッフの連携も良くて、情報が伝わっているので、プールに行っても、今日はどんな運動をすればいいか、すぐ理解してフォローしてくれました。
そういった部分も凄いところだなと思います。
今回の入院・リハビリでは、気持ちも含めて理学療法士さんには助けられた部分が大きいですね。今、リハビリで辛い思いをされている方に、理学療法士さんに頼ってみてと言いたいです。辛い気持ちを突破する、何か糸口のようなものが見つかるかもしれません」。
一人じゃないから大丈夫と微笑む中島さんの笑顔は、辛い経験を克服した、強くてたくましいものだった。
アクティブな毎日を取り戻せたのが一番の喜び♪
中島さんはとてもアクティブ。
小学1年生の時ガールスカウトに入り、その活動は結婚し転勤するまで続いた。
福岡に戻り二人の子宝を授かった時に活動を再開。
子どもが二人共男の子だったこと、一緒にやりたいと言ってくれたことをきっかけにボーイスカウトに移ったのだそう。今では大きくなった二人の子ども達も一緒に活躍中。
取材に伺ったこの日は、『博多織工芸館』の工場見学体験だった。
次男の光紀くんと一緒にキビキビ仕切る中島さん。
足が引きずるほど悪かったとは微塵も感じさせない、軽快な足取りで子どもたちを先導していく。中島さんの勢いは止まることなく、念願だった職場復帰も果たした。
さらに旦那さんがギター、長男がドラム、次男がサックスと家族で組んでいるバンドのボーカルとして活動も精力的に再開し、お祭りに参加したりもしているそう。
そして今年の3月には、大好きな旅行にも行けるように。
「家族みんなでハワイに行きました。
不安はあったけどダイヤモンドヘッドにも登ってみました。頂上まで行けた時、すごく嬉しかったです。こんなにも歩けるようになるなんて、当時は思ってもいませんでした」。
趣味も多くアクティブな中島さんが一時は諦めたというライフスタイルを取り戻すことができたのが一番の幸せと笑う。
仲のいい家族と一緒にこれからも忙しく動き回るのだろう。
取材協力
早良区室見 2-6-10
スカウトハウス きんたろう
早良区藤崎を拠点として、西新や百道、糸島からも団員が集まり、少年たちが生き抜く力を養い、社会に役立つ人を育成するため様々な活動を行っている。今年は創立60周年、9月には記念式典が行なわれる予定。
☎092-883-7077
西区小戸3-51-22
【休】お盆・年末年始
昭和24年創業のサヌイ織物が、福岡の伝統工芸品である博多織を身近に感じてほしいと開いている工芸館。工房見学や手織り体験、工場直販価格の商品販売もある。
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掲載日:2017年08月